今年のできごと。
今年は知人や、仲良くしてもらっている方の親御さんが急に亡くなったりと死に関して考えさせる出来事が心に残ったと思う。
6月頃から入院していた知人のじいさん(個人で不動産屋やってる85歳くらいの背の小さい昭和らしいじいさん)が、体調が悪化してその後亡くなったのだが2、3回見舞いに行ったけどこちらから病名を聞くことはあえてしなかった。というより聞くのが最善なのかも、僕にはわからなかった。
会うたびに1目見てもわかるくらい体調が悪くなっていくのを見てなんて言葉をかければいいのか、どの言葉を欲しているのかなんてのは想像すら出来ない。「これが(会うのが)最後かな」なんて事も言っていて、「自分の体のことは自分が1番わかるもんだ」という言葉も、そのじいさんらしい最後の価値観の言葉だったと思う。
程なくしてじいさんが亡くなったという知らせを共通の知人から聞き、その方に会う機会があったので僕が知らない詳しい経緯を聞くことになった。
じいさんのご家族の話によると、病気が発覚してからも(僕の勝手な予想だと、恐らくガンとかのようなもの)かたくなに治療を拒んでいたらしい。その真意まではその知人からは聞けなかった。ただ僕は、それもそのじいさんらしいと思った。
まだ元気な頃、たまに会いにいくとまだ何も話してないのに「そりゃそうとよぉ」となぜか話題を変えてくるスタイルが僕はなんとなく笑えたし好きだった。
大体政治経済の話や、戦時中の話だったり小僧をやっていた話、子供の頃から自転車や車の修理工として働いていたときの話などを聞かせてもらっていた。「若い人でここまで聞き上手な人はいないよぉ」とお茶やお菓子もくれたりして個人的には可愛がってくれていたと思う。
雑談のなかじいさんがこんな話をしたのを、知人と話した時思い出した。
「知り合いのじいさんがガンが見つかったって言ってね、まあ歳も行ってるじいさんなんだが。
その人は治療なんか受けずにとっととあの世に行くって言ってんだよ。
(自分の)息子世代や若い人たちにあとは任せた、って、とっととあの世に行くんだとよ」
その話を聞いて僕はさすがに何も言えなかったけど、今思えば記憶違いじゃなければ、どこか誇らしく、どこか覚悟を決めたような顔をしていたようにも思える。
その話が、そのじいさん自身の話なのか、本当に知り合いの話だったのかはわからないけど、僕にはそのじいさんの生き様をその言葉から感じたような気がしてならない。
僕にその手の話をしたのも、そのじいさんが下の今を生きてる世代に何かを残したくて言った言葉なんじゃないかと。
個人でやってる不動産屋なので規模もでかくないと思うし、どちらかと言うと地域密着の昔ながらの不動産屋さんみたいな感じだから、その地域の人くらいしか知らない人だと思うけど、人と人との繋がりを重んじた、じいさんらしいじいさんだった。
多くの人がそのじいさんを知らないだろうけど、少なくとも僕の人生の歴史には刻まれて、今後も時々思い出すと思う。
「そりゃそうとよぉ、こんな話知ってるかい」と決まり文句のように言っていた姿もちゃんと刻まれている。